ピアノの先生と、よくピアノの話をするようになってはや数年・・・
留学ショックの話も度々聞いておりますが、なかでも向こうでは「あなたはどんな風に弾きたいの?」と聞かれることが多いという話が耳に残っております。
レッスンを受ける際に、先生からの指示を待ってばかり・・・という姿勢ではレッスンの最中にいろいろと困ることになるのだとか。
「これでいいのかなぁ?」と言うと「あなたがそう弾きたいのなら、そう弾いたらいい。私はこうやって弾く方が好きだけどね」と返ってきたりする。日本人的な発想だと、「じゃぁ、私はどうやって弾けばいいの・・・」となってしまいますね(^。^;
ますます不安になってきたりするのですが・・・それが留学ショックというヤツなのでしょうか?
学校でも、日本の学校は特に、生徒に回答を求める授業なんてのは少ないから、突然「あなたの回答は何?」と言われるとビックリします。
実際、私も、とある外国の先生のレッスンを受けたことが2回ほどございます。
するとやっぱり来ましたよ!この手の質問。「(例えば先生が、AとBの2種類の弾き方を披露した後)・・・私はBのスタイルで弾いた方が好きなんだけど、あなたはどっちが好き?」と。これまた生徒側に回答を持たせるスタイルのレッスンでございます。
この時私は、日本の先生からは、昔からAのスタイルで教えられてきていたので、「Aです」と思わず言うと、先生は「それはまたとてもトラディッショナルね」と返ってきました。しかし、あとで両方のスタイルでもって弾いてみると、先生が好きだと言っていた方の、伝統的ではないスタイルの、Bの方の弾き方の方が気にいりました。
伝統的Aの弾き方だったのを、新しい解釈のBの弾き方に変えると、いきなり演奏に説得力が増したのです。先生もそこら辺を分かりやすく説明してくださっておりました。
それ以来、その曲の、その部分は、こっそりと演奏方法を変更してしまったのですが・・・(^。^;いいのかな?こんな優柔不断で!?と逆に、自分の頭のなさ、自分のポリシーの無さに愕然としたのを覚えています。
さすがは先生、影響力、大!でございます。強いポリシーに負けました・・・
常に自分の感性、自分の演奏のスタイル、というものを持ってレッスンに臨むのが、外国の、特にマスタークラスのようなレッスンの場合は当然のごとくの基本のようです。
言われてみれば当たり前ですね。「あなたは何を考えてここを弾いていたの?」「ここはどうしてそうやって弾くの?」「指示ばかり仰いでいないで自分でも考えなさい?」と言われているようなものです。私の先生も、よく留学先では言われてたそうです・・・。
「自分はどう弾きたいのか?」「何故ここをこうやって弾いたのか?」と思いつつ演奏してみると、これまたピアノのペダルのレッスンを受けた時のように、ドッと疲れが(^。^;
慣れると何でもないことですが、「常に先生からの指示を仰いでいてはだめ。自己主張ははっきりと!」という姿勢は或る意味とても大事ですね。
また、日本の先生はこう指示することが多いけど、実際、ヨーロッパの本場でその通りに弾いていると、あんまり評判が良くなかったりしてびっくりすることも多いとか。それはバッハなどのバロック音楽に顕著だそうです。
日本の先生はバロック音楽を「ノンレガート気味」で「ペダルも極力使わないで」と指示します。
けれど外国でそうやって演奏する人は少なく、人前で弾くと評判が良くないらしいです。逆に今のピアノで弾くと不自然だと捉えられたりするのだそうで。チェンバロの時代に作られた曲でも、実際は「今のピアノで弾く」のだから、今のピアノにあった弾き方をした方が良い、とのこと。
そこで、わざわざチェンバロ風に弾く必要はないとか、否か・・・さて、正解はどっち!?
結局は、この話も、「私はこう弾く方が好きだけど、あなたはそうやって弾くほうが好きなのね?」で終わってしまう危険もあります。
バッハのようなバロック音楽を弾く際でも「自分はどんな風に弾きたいか?」と思って弾いてみるのもいいかもしれません。
結局は全て、プレイヤーの腕と頭次第なのです。一人のプレイヤーとして、自分はどうなのか?自分のスタイルとは何か?わがままに弾いてみるのもいいのかも!?
何の世界でも日本人は同じ傾向みたいですね〜〜
返信削除サッカー日本代表もそんな感じですよね〜
あ〜あ。。な感じです。
ワールドカップ一応、燃えて応援はしますけど、、、
(一応、元サッカー部なんです^^)
バロックに関して、あおみどりさんの書いている内容にとても共感しました。
返信削除バロックだからノンレガート、ペダルを踏まないのでは、いずれバロックはつまらない音楽になってしまいそうですね。
誰にも遠慮せず、わがままな演奏し放題なのが電子ピアノの良いところですねw
録音し放題ですから、跡から客観的な判断もできますし^^
アコpは誰に聴かれているか分かりませんから(・・;)
>ピアノトオトさん
返信削除プロスポーツにも似たような傾向が・・・!或る意味、日本人の美徳、というか、400年も続いた江戸時代が、遺伝子の奥の方までしっかりと刻みこまれているようにも見受けられますね。(話が大げさかもしれないけれど!)
昔、そこらへんのいろいろな本を読みました。文明開化後は急いで急いで西洋化した為に、西洋文化の受け入れ方は、ひたすら横に倣え的になってしまったのも仕方のないことと言われております。夏目漱石もそんな感じの文章を書いていて、日本の文明開化のやり方には批判的だったみたいです。
ピアノも同じで、ひたすら追いつけ、追い越せで、先生の言うこと聞くだけ・・・。それではいつまでたっても自立できないプレイヤーになってしまいますね、日本人独特の「自分のいうことは絶対なんだから一方的に聞け!」的なスタイルの先生側にも問題があるようなんですが・・・
当たり前のようでいて、日本人には難しい!?ヘンテコリンな問題だと思います。
長くなってスイマセン(^。^;
>ゼロシンさん
そうですね。デジpで思い切り自由に、自分を解放して、自分の演奏が出来るのは精神衛生上、とても気持ちの良いものです(^。^)
バロックは、本来の楽譜には強弱記号が書かれていないうえ、鍵盤楽器自体、スラーやレガートの表現が難しい時代に作られたものだから、今のピアノで弾くには、いろいろな工夫が必要ですよね。
本来はジャズみたく、自由魂をもって、楽譜を変更、脚色して弾くものなんですよね。これはリコーダーを習っていた時に、特に顕著に感じました。
まだフルートがなかった時代の、バロック以前のリコーダー用の曲をやったとき、楽譜に書かれていない音符を書き込みだらけの脚色しまくり~の内容に変化させて、かなり自由に演奏させてくれておりました。ピアノのレッスンではこういう風景はあまり見られないですね。
本来の古典音楽は、歴史のいたずらなのか、何なのか、楽譜は道しるべとしてあるだけで、実際の演奏はジャズっぽい感覚だったようですね。
そういう意味では、バロックや、バロック以前の音楽は、個人絶対主義的な古典派やロマン派に比べると、ものすごく今風の自由さを感じます。なんでもあり!?っていう空気を感じます。だから好き、ということもありますね。