それは改まって「声」を聴くこと。いうなれば、清聴?ならぬ「声聴」?
無趣味になりたいとかいろいろ言っておきながら、やっぱり趣味が尽きることがないんだなぁ。
これは、どうやって表現したらいいんだろう。物心ついたときからの、2~3歳ころからの、たぶん一番長く続いている趣味なのです。
「声」そのものを聴くのです。そうするとあら不思議。その人が何を言っているのか分からなくなります。日本語なのにもかかわらず。人間の声が一番面白くて好きですが、動物の鳴き声も、単純に物音も含めて、「音」という音を「改めてよ~く聴く」というのが好きなんです。
「ああ、この人の声ってこんな声なんだなぁ・・・」と、その人の発する”声質”というか、その人の”体”という楽器から発せられた”声”を、楽器の音色のように聴くんです。
言葉そのものは分からない感覚で、妙に気を抜きつつ、心と頭を解放し、真っ白にして、声だけを聴くんです。
もし、相手の声をちゃんと聴いてるのに、具体的には何を言ってるのかわからなくなってることがあったら、まさにその感じ、としか言いようがありません。説明が難しいー・・・。(笑)
これはほんとうに小さいころからのマイブーム。癖ではありません。なぜなら、「あえて」聴くからです。姿勢的にはいたってまじめです。適当に聴くんじゃなく、かなり一生懸命聴くんです。
かつて、気軽に録音できるカセットテープレコーダーがあり、2~3歳の頃から、10歳頃まで、その機械が壊れるまで、「声を録音して再生して聴く」という遊びを、延々と懲りずにやっていました。
親曰く、「すぐ眠るし、起きてれば一人で勝手に遊んでたね。」だそうです。確かに、かなり小さいころから一人遊びが得意だったようで、朝から晩まで、自分の声録音→再生で大爆笑、をやっていたそうです。小学生くらいの記憶は時々ありましたが、それより小さくなってくると、親に言われるまでは信じられませんでした。
これはどこでもいつでもできる、数少ないお金のかからない趣味です。
これにはまると、「外国語」というものがなくなります。どこの地方でも、どこの国でも、人種も関係なく、この世でたった一つのその人の「体」から発せられる「声」そのものをじっくり聴いて、”声質”のようなものを感じることがたまらなく好きなんです。
ただ、気ごころ知れた人とかと、気を抜いてる時に、たま~に、その趣味がオートマティックに発動してしまい、「ごめん、もう一度おねがい・・・」と、相手の話を聞き直さなくてはならなくなるので注意が必要です。
あとひとつ、好きだけど困ってしまう声があります。それは、ナレーションやアナウンサーの声です。
旅先でよく出くわします。何とかシアターみたいな、薄暗い部屋や、ブースの中に入って、その街の映像をみたりします。そのナレーションの声が、どうにもこうにも強烈な眠気を誘います。NHK番組的、BS放送的なナレーションってなんであんなに眠くなるんでしょうか?
館内アナウンスとか、会社に電話した時などに出る、ものすごいプロフェッショナルな声質で応対している、湿度と温度がちょ~どよく調整された人の声も、たま~に聞くと、その人が何言ってるか分からなくなるほど、一瞬ぽーっとなっちゃいます。こういう声は決して嫌いじゃないですが、好きと言えば好きかなぁ。
ええ、嫌いじゃないんです。思いっきり心地よいのです・・・。旅先だと、なるべく活動しているときは起きていたいんですよ。でも、ナレーションの声の威力はすごすぎて抵抗できません。特に、普段からマイクロ睡眠している私としては、「あ、コレ来たか・・・」と、条件反射的に一瞬で確実に寝れてしまいます。
この性質のせいで、旅に同行している友人を何度も困らせてしまうので困ります。寝てる人を起こすのって気が引けますよね・・・。(ごめんよ・・・。)
個人的な趣味を語ると、わたしは「低い声」というものがたまらなく大好きです。低すぎるのもちょっと怖いですが、大人の男性のお腹から発されている低い声、女性でも低めの声の人が好き。
喉からしか出ていない大人の甲高い声、苦手。あ、でも時の人、マイケルジャクソンの雄たけび(ポ~ゥ!シュクチュク!)、歌、ともに大好きです。マイケルの声は高めだけど、お腹から声が出ていて、こぶしも効いてるし、音域が広いんだな。「This is it」2回観に行きました・・・。子供の声は全般的に録音したいくらい大好き。
ここを偶然でも読んでしまったみなさん。何て言ったらいいか表現に困る、名前のない趣味ありますか?
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