「練習」ってやつは、長い目で見ていると、本当に紆余曲折たくさんあって、ちょっとした休憩のつもりが、かなり長い休憩に陥ったり、しまいには「辞めたっていいじゃない」という状態になっていきます。
みなさんは、何か、「特技」や「芸」に関することで、1つのことを最低でも10年以上続けたことがありますでしょうか?
どんなに長い間やっていても全然一向に満足しない、この「芸」という世界・・・。厳しいです。
そんな中、長く続けていないと見えてこない世界ってのがあるので、それについて語りたいと思います。
モチベーション下がることも今までたくさ~ん経験してきました。既に9歳の時点で、ピアノの先生に「辞めたら?」と言われておりました。
下手なのに辞めずに、先生を変えつつ、親からも「もういい加減に辞めてちょうだいよ~」と言われつつも、厚かましく17歳までレッスンに通っておりました。
技術はめちゃくちゃでも、何も出来なかった4歳から始め、17歳で弾いたクラシック音楽は、ラヴェル作曲「水の戯れ」。今考えてみても、若気の至りで勢いだけでしたが、難しくも楽しかったです。
この事実は、普通の庶民が普通に呑気にやっていても、芸事というものは、10数年でなんとかモノにすることが出来る、という証拠になるだろうと思います。
音大を目指すような人、専門の人みたいに、整った環境で過酷なメニューを毎日何時間も弾き続けられる人って、そんなにいないと思いますから、この事実はきっと普遍的なものだと信じております。
10数年ですよ!たったの10年!・・・しかし、されど10年!!
嫌になるほど長いです~(^。^;
10年経つと、一度自分の中で築いてきた全てが一度崩れて、リセットされ、生まれ変わらないといけないな、という転機を感じ始めます。
私の場合は4歳から始めたから、10年後といえば、14歳の頃でしょうか?
この頃、音楽的な内容はともかく、手はよく動く時代でございました。ドビュッシーの「雨の庭」とか平気で弾いてたんです。今思うと勢いだけの幼稚な技術で、本当は上手ではないのですが、先生が褒めてくれると嬉しくなって、調子に乗ってた時代です(笑)。
けれどそんなこんなで、ドビュッシーの「喜びの島」なる難しそうな曲を弾くことになり、愕然とした思い出がございます。一度自分の中でケリがついてしまった曲でした。
「私にはこの世界は、ここから先は到底無理!難し過ぎる曲は弾けなくて結構!」
指は動いても、ピアノを弾けている、という気が全然しなかったのを覚えています。
山で言うところの7合目あたりに来て、それなりの絶景を堪能した気分になり、もうある程度満足しちゃったのですね。
そもそも、クラシックの難しい曲を、単に指の上では弾けたところで精神的には全然嬉しくなかった、ということもございました。
聴いている音楽はポップスや洋楽ロックなどが中心で、贅沢なことに、ピアノは単なる習慣だったのです。プロになりたいというようなハングリー精神は完全に欠如しており、単にピアノ弾いて楽しくなりたかっただけなのです。
弾いている間、頭の中はいつも真っ白でした。その真っ白感が気持ちよくてハマっていたのだと思います。スポーツの楽しさにも似ていますね。
今弾いていても、やっぱり「楽しみたい」が優先ですから、そもそも「練習曲」なんてもう絶対に弾きたくないのです。
けれど、「練習」は楽しむためには必要不可欠ですから、ここでまた悩むことになりました。
芸術性の高い曲を、練習曲として使えないか?と思い始めます。再度1から独学でやり始めた19~20歳くらいのことです。
前回のブログで取り上げた「メンデルスゾーン」も、そういう意味で気になった曲でございます。
この曲は練習曲ではないけれど、練習曲みたいな要素がてんこ盛りですから、こういう曲を使わない手はありません!楽しめる曲を、普通に取り組んでるだけで、練習曲と同じような効果があるのなら、これにこしたことはないからです。
いろいろと探すと、けっこうこの手の曲って多かったりします。やっぱりアマチュア道を究めるには、とことん楽しむことが先決なのです!!
嫌になってしまって弾かなくなったら、もう取り返しがつかないほど弾けなくなってしまうからです。
そう思いながらも結局は呑気に続けておりましたが、或る時「すっかり弾けなくなったな~」と感じていた時に、たまたま参加していたピアノサークルで知り合った人が、先生をしているとかで、再び習うことにしたわけですが・・・これもほんとに気まぐれでございました。
先生の弾くピアノがとても素敵だったから、という理由です。(とはいえ先生してるなんて、聞くまでは全然知らなかったわけですが)
しかし、そんな素敵なピアノを弾かれる先生とも、よく「練習って・・・」云々、雑談をよく致します。
先生の立場からすると、生徒を取れば取るほど、仕事をすればするほど、自分の練習は出来なくなるし、一般向けのコンサートを開くと、客層を考えて、みんなに受けるような親しみやすい曲ばかりを弾いてしまうから、逆に自分の弾きたいものはどんどん弾けなくなってくるそうです。
先生をしていても、ピアノ弾きとしては、「練習」という課題は一生悩み続ける問題のようです。
その一方で、「練習って何なの?」「なんで練習ばっかりなの?」という変な疑問が湧いてしまうそうです。いつになったら普通に「プレイヤー」として自由自在に生きていけるのか?という問題につながっていきます。
とある天才的な方は「練習なんて一度もしたことがない」と言っていたのだとか。そもそも「練習」って何なのでしょうか?
ただ、楽器を弾いています、そしてそれが楽しいです、ということではだめなのでしょうか?
「頑張らないといけない!」といった根性論みたいな固定観念を一度取り払って、レベルなんて関係なく、唯の1個人のプレイヤーとして生きたいものです。それで、楽器の演奏を生活に中に取り込んで、よりよい充実感を得る、といったライフスタイルを送っていればそれで幸せじゃないか!と思いたいですね。
とはいえ芸の道は「もっと上手く!」といった”欲”がつきものだから、ついつい、もっと頑張ろうっ!てことになってしまうんだけど・・・。
とりとめのない文章になりました。
強引な結論。
楽しめなくっちゃ、損、損!!弾きたくない時は弾かない!弾きたい時に弾く!これで幸せなら何も悩む必要なんてない!!
・・・っと、自分に言い聞かせる!の巻きでした。(・・・でももっとうまくなりたい・・・)
最後に。いきなりですが韓流ドラマをお勧めいたします。「ファン・ジニ」というドラマなのですが、とある芸の道を究めようとする女性の物語です。コレ、けっこうハマりました。
「芸の道」って、誰にも頼れず、自分との戦いが一生続く険しい道ですが、やっぱりいくつになってもいいもんだな。一生辞めれそうにないな。と改めて思ったドラマでした。
(内容はかなり厳しい大人の世界も描かれていますので、お子様世代にはお勧めできません)
下手なのに辞めずに、先生を変えつつ、親からも「もういい加減に辞めてちょうだいよ~」と言われつつも、厚かましく17歳までレッスンに通っておりました。
技術はめちゃくちゃでも、何も出来なかった4歳から始め、17歳で弾いたクラシック音楽は、ラヴェル作曲「水の戯れ」。今考えてみても、若気の至りで勢いだけでしたが、難しくも楽しかったです。
この事実は、普通の庶民が普通に呑気にやっていても、芸事というものは、10数年でなんとかモノにすることが出来る、という証拠になるだろうと思います。
音大を目指すような人、専門の人みたいに、整った環境で過酷なメニューを毎日何時間も弾き続けられる人って、そんなにいないと思いますから、この事実はきっと普遍的なものだと信じております。
10数年ですよ!たったの10年!・・・しかし、されど10年!!
嫌になるほど長いです~(^。^;
10年経つと、一度自分の中で築いてきた全てが一度崩れて、リセットされ、生まれ変わらないといけないな、という転機を感じ始めます。
私の場合は4歳から始めたから、10年後といえば、14歳の頃でしょうか?
この頃、音楽的な内容はともかく、手はよく動く時代でございました。ドビュッシーの「雨の庭」とか平気で弾いてたんです。今思うと勢いだけの幼稚な技術で、本当は上手ではないのですが、先生が褒めてくれると嬉しくなって、調子に乗ってた時代です(笑)。
けれどそんなこんなで、ドビュッシーの「喜びの島」なる難しそうな曲を弾くことになり、愕然とした思い出がございます。一度自分の中でケリがついてしまった曲でした。
「私にはこの世界は、ここから先は到底無理!難し過ぎる曲は弾けなくて結構!」
指は動いても、ピアノを弾けている、という気が全然しなかったのを覚えています。
山で言うところの7合目あたりに来て、それなりの絶景を堪能した気分になり、もうある程度満足しちゃったのですね。
そもそも、クラシックの難しい曲を、単に指の上では弾けたところで精神的には全然嬉しくなかった、ということもございました。
聴いている音楽はポップスや洋楽ロックなどが中心で、贅沢なことに、ピアノは単なる習慣だったのです。プロになりたいというようなハングリー精神は完全に欠如しており、単にピアノ弾いて楽しくなりたかっただけなのです。
弾いている間、頭の中はいつも真っ白でした。その真っ白感が気持ちよくてハマっていたのだと思います。スポーツの楽しさにも似ていますね。
今弾いていても、やっぱり「楽しみたい」が優先ですから、そもそも「練習曲」なんてもう絶対に弾きたくないのです。
けれど、「練習」は楽しむためには必要不可欠ですから、ここでまた悩むことになりました。
芸術性の高い曲を、練習曲として使えないか?と思い始めます。再度1から独学でやり始めた19~20歳くらいのことです。
前回のブログで取り上げた「メンデルスゾーン」も、そういう意味で気になった曲でございます。
この曲は練習曲ではないけれど、練習曲みたいな要素がてんこ盛りですから、こういう曲を使わない手はありません!楽しめる曲を、普通に取り組んでるだけで、練習曲と同じような効果があるのなら、これにこしたことはないからです。
いろいろと探すと、けっこうこの手の曲って多かったりします。やっぱりアマチュア道を究めるには、とことん楽しむことが先決なのです!!
嫌になってしまって弾かなくなったら、もう取り返しがつかないほど弾けなくなってしまうからです。
そう思いながらも結局は呑気に続けておりましたが、或る時「すっかり弾けなくなったな~」と感じていた時に、たまたま参加していたピアノサークルで知り合った人が、先生をしているとかで、再び習うことにしたわけですが・・・これもほんとに気まぐれでございました。
先生の弾くピアノがとても素敵だったから、という理由です。(とはいえ先生してるなんて、聞くまでは全然知らなかったわけですが)
しかし、そんな素敵なピアノを弾かれる先生とも、よく「練習って・・・」云々、雑談をよく致します。
先生の立場からすると、生徒を取れば取るほど、仕事をすればするほど、自分の練習は出来なくなるし、一般向けのコンサートを開くと、客層を考えて、みんなに受けるような親しみやすい曲ばかりを弾いてしまうから、逆に自分の弾きたいものはどんどん弾けなくなってくるそうです。
先生をしていても、ピアノ弾きとしては、「練習」という課題は一生悩み続ける問題のようです。
その一方で、「練習って何なの?」「なんで練習ばっかりなの?」という変な疑問が湧いてしまうそうです。いつになったら普通に「プレイヤー」として自由自在に生きていけるのか?という問題につながっていきます。
とある天才的な方は「練習なんて一度もしたことがない」と言っていたのだとか。そもそも「練習」って何なのでしょうか?
ただ、楽器を弾いています、そしてそれが楽しいです、ということではだめなのでしょうか?
「頑張らないといけない!」といった根性論みたいな固定観念を一度取り払って、レベルなんて関係なく、唯の1個人のプレイヤーとして生きたいものです。それで、楽器の演奏を生活に中に取り込んで、よりよい充実感を得る、といったライフスタイルを送っていればそれで幸せじゃないか!と思いたいですね。
とはいえ芸の道は「もっと上手く!」といった”欲”がつきものだから、ついつい、もっと頑張ろうっ!てことになってしまうんだけど・・・。
とりとめのない文章になりました。
強引な結論。
楽しめなくっちゃ、損、損!!弾きたくない時は弾かない!弾きたい時に弾く!これで幸せなら何も悩む必要なんてない!!
・・・っと、自分に言い聞かせる!の巻きでした。(・・・でももっとうまくなりたい・・・)
最後に。いきなりですが韓流ドラマをお勧めいたします。「ファン・ジニ」というドラマなのですが、とある芸の道を究めようとする女性の物語です。コレ、けっこうハマりました。
「芸の道」って、誰にも頼れず、自分との戦いが一生続く険しい道ですが、やっぱりいくつになってもいいもんだな。一生辞めれそうにないな。と改めて思ったドラマでした。
(内容はかなり厳しい大人の世界も描かれていますので、お子様世代にはお勧めできません)
あおみどりさん
返信削除10年一昔なんて言葉も有りますからね。
昔から10年ってひとつの目安になってるんでしょうね。
>楽しめなくっちゃ損
これってホントにそうだなって思います。そして1番大事な事とも思います。
僕は「芸」と言えるかどうかは分かりませんが
ダイビングを今年で始めてから6年目位になるでしょうか・・すごく楽しくて感動して、だから今でもこれからもずっと続けて行きたいって思うんですがそれには結構な金額がかかります。だからこそ1回のダイビングを充実させる為に様々なスキルを身に付けてうまくなろうとします。
その根底には「自己満足」というものがあって、それが僕をダイビングに駆り立ててくれるんだと感じています。
すいません、書いてたら長くなりました。
まとめると仕事も趣味も一種の「芸」
自分の満足のために練習するんだと思います、やらされているって感じたらそれは練習じゃなくて酷い言い方すると「拷問」になるんじゃないかな。
と書いてはいますが、自分で実行できているかな・・・
あおみどりさん
返信削除そう!スリングな楽しさって有りますよね。
僕はいつもダイビングで海に潜る時の冒険心がくすぐられる様な心のドキドキとワクワクが大好きなんですよ。
そして海中独特の生物や地形を見ると感動します。
山登りといえば、去年「大山」にアウトドア好きの友人に誘われて行きました。え~と確か男坂から山頂まで登り翌日筋肉痛に襲われたのを覚えてます。
ですが、山頂からの景色は素晴らしく、登頂時の達成感はありましたね。山に登ることも自然の四季を感じる事が出来るというのも僕が大人になった証拠かななんて思いもしました。
僕も会話術が素晴らしい人は凄いと思います。
それは多分自分が口下手で自分の気持ちや面白いとおもった事を人に伝える事が苦手だからだと思っているんですが・・・
それでも、最近は「会話」の楽しさを感じられています。
それが、言葉であれこういった文章であっても、あおみどりさんやgekkaさんのように自分の言葉に返事を頂けるからかな
なんて感じてます。
またまた、長くなってしまいました・・・・・
なんか最近語りモードが抜けませんね。
>鯱さん
返信削除語りが止まりません!!お気持ちすごーく分かります。
好きな事や、感動した思いを語るのはほんとうに楽しいです!
海中生物、今までいろんなところの水族館で見てきましたが、綺麗な癒し系の魚たちとは裏腹に、
お化け屋敷よりもよっぽど怖い雰囲気も感じたことがございます。くらげとか巨大カニとか。
特に近くで巨大なマンボウを見た時はビビりました・・・それを海中で見た日には失神しそう。
スリリングで、でも楽しい。そんな刺激はほんとうに中毒になってしまいます。中毒体質なのかな!?
大山って、坂道はほとんどなく、石階段と岩階段ばっかりなので、お気軽な感じに見えて、実は相当キツイ山ですよね~。
しかし、キツければキツイほど、山頂での爽快感はたまりません。私もすっかりそのとりこです。
そして、会話術。今までも、あんまり肩肘張らずにですが、ちょこっとづつ勉強してきました。
知れば知るほど納得、なことが多いです。右側「マイブログリンク」より会話術ブログもリンクしております。
文章が長くなること、こちらは全然気にしておりませんので、(私の方こそ長いんでございます)
全~然気にしないでくださいね。