昨年は、全国的に、世界的に見ても本当にいろいろなことがありすぎました。一口では語れないいろいろな思いがめぐります。
節約とかも含めて、そういったことは特に日にちを設定せずとも毎日意識していくものだと思いますが、あえて自分の中で「節電の日」とか「節電月間」を設けて、それをゆるりと実践していました。
以下、興味がある方のみお読み下さい!
時々、電力会社の現在の電力使用量を確認してましたが、以前は7~8割キープしていた使用量も、最近は90%に達してる日もあったりして、意外に危機状態に陥っていた日もちらほら。 やはり時間がたつと、「電力は無尽蔵にあって当たり前」・・・という、意識の無意識(?)状態に戻ってしまいますね。
けれど、震災から1年たった今だからこそ、節電や危機管理についてもう一度意識しなおしてみようではありませんか?あまりギスギスしないくらいに、普通に、ゆるやかに、ね!
出来ることから始めたい。もう二度と、停電生活したくない!そのためには、誰が何かをメディアを使って主張するとかではなく、普通に個人個人の意識を高めることが必要だと思います。
電池はなるべく夜間に充電しておいた充電池を使います。最近は、水電池、なる面白充電池も出てきたので、これも今後購入してみようかな~っと思い中です。
(参考:Amazonページ)
日本協能電子 NOPOPO:http://www.amazon.co.jp/dp/B003OOVUHG
ゲーム・TV・オーディオ等、個人嗜好的な電化製品の使用はなるべく控えます。充電機能があるものは、進んでそれを利用します。
電気を使わなくても出来ることはたくさんあります。ピラティスや創作柔軟体操を始めたのも、そんなことがきっかけだったりしました。(実際始めた時はかなり無意識だったですが)
基本的に、一般的な家庭の場合、冷蔵庫や生命の維持に必要な医療器具とか以外には、夜間にどうしても必要な照明を除いては、ほとんどの電化製品のコンセントを抜いても生活には全く支障をきたしません。
そういう日を週に1日だけでも設けてみるのもおすすめです。危機管理意識が高くなってきます。疑似停電生活です。
停電したら照明すらないことを考えると、冷蔵庫だけには電気を使えるっていうありがたみを感じることができます。
停電生活時には、たまたまあった電池駆動で使えるラジオがとても楽しかった記憶があります。まるでドラマでしかみたことないような、昭和初期や第2次戦争直後に戻ったかのように、家族一丸となってラジオに耳を傾け・・・なんていう日もありました。
というわけで、たまたま持っている、FMラジオ機能があるiPod(nano/6G)にはいまだにお世話になっております。TVをつける習慣はもともとなかったけれど、さらにTVを使わなくなっていました。
また、話は変わりますが、私自身、電気が全く使えなくなった状態の町中を歩いていた時の、あの不気味な感じを今でも鮮烈に思い出すことができます。
幸い、登山が趣味だったこともあり(今でも趣味のつもり・・・ですが)、普通にヘッドライトを所持していました。ある時、18~19時頃のこと。妙に薄暗い街中で、ヘッドライトを手に持ち、周囲を照らしながらわんこの散歩をしていました。
当時、町中がライトと電池不足だったこともあって、ほとんどの人が、暗い中をそのまま歩いていましたが、冗談ではなく、「ライト強盗に遭うんじゃないだろうか?」といった、根拠のない変な不安に襲われたのを、今でもよーく覚えています。
停電時にライト持ってる=砂漠でたくさん水持ってる、くらいの有難さがあったんです。
「ライトよこせ!」と、ナイフ片手に脅されたらどうしよう?とか、本気で考えてしまいました。。。今となっては昔のことですが、本当にそんな気分になるくらいの、異様な雰囲気だったんです。治安が良い街に暮らしているつもりでもそんな気分になるんですから、もう、相当に変な状態といえます。
今でも、寝るときは、枕元にヘッドライトとか、貴重品を最低限まとめたもとを置いています。暗くて何も見えない中での”明かり”は、本当に余計な不安を払拭してくれるし、なにより安心して眠ることが出来ます。
そんなわけで、今月はまともに映海山pwiiネタを書くことが出来なくなっていましたが、電気がなくても豊かな生活を送ることが出来るスキル(!?)が身について、それはそれでけっこう楽しくてお得な気がします。
そんな中で思ったこと。
電気って、大変な発明だったんだ~!!
っていう単純なことでした。今更何言ってんだ!って感じですが。私たちはみな、電気なしには暮らせない。まるで、水がなければ生きられない生物のごとく、電気がなければ、ただ生きることすら困難になるなんて!
石器時代に生きていた人たちの、誰が想像できた?とはいえあの方たちは当時土器ばっかり作って、火を焚き続けていたけれど、あの人たちのことを思うと、その気持ちがよーくわかるようになりました。
土器(=火)がなくなったら大変ダァー!
そんな思いがいにしへより伝わってきました。土器(=火)だって、大変な発明だったんですね。それが節電月間で得た感想のひとつです。
ただの戯言ではありますが、電気を使って発信してみました。読んでいただき、ありがとうございました。m(_ _)m
(追記)以上はあくまで個人的見解によるものです。とあるグループや団体に属したものとしての意見、みたいなものではありません。電力会社の関係者でもありません。
また「節電生活」とは「電気使うな」ということではなく、あくまで「有限な電力」を使い続けるために、その有難さをちゃんと意識すること、と思っています。 普通に電気を使い、楽しんで生活しつつも、一方で有限な電力を絶やさないよう停電させないための努力を個人レベルでもしていこう!ということです。(^^)ノ
こんばんは(^-^)/
返信削除>電気が全く使えなくなった状態の町中を歩いていた時の、あの不気味な感じを今でも鮮烈に思い出すことができます。
ああ、全く同じ感想でした。
“街が死んでる”って感じで恐ろしかったと同時に、今まで如何に恵まれた世界にいたのかと実感しましたね。
なのに、今や自分はすっかり忘れてしまったかのように「節電」気にしなくなってたりします…(^^ゞ
うむむ…あおみどりさんを見習わないと!!